
「絶対の自信はありません」
政治がもにゃもにゃしています。
某国の軍事行動について、政治学者が
「長続きせず、失敗すると予想しますが、失敗するという予測について絶対の自信はありません」
と言っていました。政治学者も自信がない、とな・・・
まあ、世界を見ているとなんとなく自信なくなってきちゃうよね、とも思います。
よく「企業のダメすぎるトップは利益を上げられないし人は離れていくから自然淘汰されるんだよね」という話を聞きます。
ですが、そんな組織でも右肩上がりの最高利益、それを何年も更新、銀行がお金を貸したがって仕方がない。
そういう現場に直面したことがあるので、「自然淘汰なんてほんまかいな」と思ってしまいます。
多分、私が見ていなかったり気づいていないだけで自然淘汰は発生しているんでしょう。
そういうことにしておきます。
道徳なんて、誰かに教えてもらって身につくものではないのさ
世の中、善と悪ではっきり分かれるものなんてありません。
個人にはさまざまな事情があります。
道徳の教科書に記載されているのは一般論、正解なんてどこにもない、「こんな時どうすればいいの!?」みたいなことが現実世界でゴロゴロ起こります。
教科書は役に立たないのさ、とは言いませんが、「マニュアル通りやっておけば万事OK!」ということは現実世界ではあまり起こりません。
正解はひとつ、間違いは悪、みんなで平均を目指す。
そんな教育を受けてきた日本人には、他の正解を探したり、他の方法を探すということが苦痛かもしれません。
ですが、AIという間違えない達人が台頭している現代、正解はひとつということに縛られていては大きなハンディキャップになるでしょう。
そこでご紹介したいのが、太宰治「正義と微笑」に出てくる一節です。
引用:正義と微笑 太宰治「もう、これでおわかれなんだ。はかないものさ。実際、教師と生徒の仲なんて、いい加減なものだ。教師が退職してしまえば、それっきり他人になるんだ。君達が悪いんじゃない、教師が悪いんだ。
じっせえ、教師なんて馬鹿野郎ばっかりさ。男だか女だか、わからねえ野郎ばっかりだ。こんな事を君たちに向って言っちゃ悪いけど、俺おれはもう、我慢が出来なくなったんだ。教員室の空気が、さ。
無学だ!エゴだ。生徒を愛していないんだ。俺は、もう、二年間も教員室で頑張がんばって来たんだ。もういけねえ。クビになる前に、俺のほうから、よした。きょう、この時間だけで、おしまいなんだ。もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。
勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!
これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。あっけないお別れだけど、男と男だ。あっさり行こう。最後に、君たちの御健康を祈ります。」
道徳なんて、誰かに教えてもらって身につくものではないのさ。
そんなわけで、日々これ勉強です。
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これからは個人が強くなる【雑談】
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Wrote this articleこの記事を書いた人
あかぐり
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