
極端すぎるんじゃ・・・?
あまり具体的に詳細を取り上げませんが、人間は時として「みんながやってるもん!」ということを持ち上げて他者を攻撃をすることがあります。
多数の人間が行なってきたことや、これまでの慣習を行わなければ「おかしい」「それは人間的な問題を抱えているからだ」と特定の人間を排除します。
みんながやっていることを、仮に「常識」としましょう。ですが常識なんてものは、時代とともに変わります。そんな変化しやすいものを「常識」というのはなんとも心許ない。
多くの人間が信じている(または信じ込まされている)ことを根拠に、負ける戦争に「絶対勝てる」と言ってしまうかつての日本のような空気感には、危機感を持った方が良いでしょう。
常識と言われているものは、時として根拠や合理性に欠けることもあり、信じ込まされているだけということもあります。
また、これも長らく言われ続けているのですが「すべて〇〇が悪い」という極論。
悪者を作り上げて「すべての原因はここにある」というのは、1つの事象には複数の因果関係が複雑に絡み合っているということを度外視しています。
世の中って、そんな単純でしたっけ?
思っている以上に、個人は様々な経験をしている
私が思っている以上に、個人で様々な経験をしている人がいるでしょう。
そして、様々な事情を抱えている人がいらっしゃいます。
「俺の祖父は長寿でピンピンころりだったから、人間なんて死ぬ時全員そうだろう」と言った知人がいましたが、その知人は視野が狭すぎです。
人には、様々な事情があること。それには、複数の因果関係があること。
それを忘れて、一般化に走ろうとします。
ここでいう一般化とは、前述の知人のように「自分の祖父は健康長寿だったから、他の人もそうだろう」というような単純化して処理してしまうこと。
確かにケースによっては思考の単純化は正解につながる場合もあります。ですが、それは原因が明快な時の場合のみです。
経済的事情、健康、信条などは、様々な経験や環境に左右されます。そして、それらは一個人では想像できないほど膨大なケースがあることでしょう。
厳しいことを言うようですが、すべてのことを自分の経験のみで語れると考えている人間は、想像力と思慮が足りていません。
自分には想像もできないほどの事情がある方々もいる、それを忘れてはいけません。
「すべて〇〇が原因」とは、もはやできない
常識や自分の経験のみで「あいつはおかしい」と非難するのは、自分の優位性を誇示するのが目的になっている人もいるかもしれません。
そんなみみっちい争いをしていても、誰も幸せにならず、何も価値を生み出すことはできません。
ですが、これだけの情報化社会です。いいことも悪いことも、レアケースも含めて様々な話を聞く・読むことができます。
そのような社会で「すべて〇〇が原因」と言い切ってしまうのは、思考停止で楽をしたい、知りたくない、自分が理解できないことは聞きたくないという自分の欲望に自分が従っているだけだと、本当は気づいているのではないでしょうか。
世の中との戦いというよりも、「面倒くさいと思う自分」との戦いなのではと思います。
これだけ情報量や技術が高度化したら、すべてを理解するのは無理だよ・・・という気持ちもわかります。
しかし労力を惜しむと、単純な一般化は加速、視野を狭くし、いざという時「こんなはずじゃなかった」「こんなの知らなかった」「誰も教えてくれなかった」とまた悪者を探し出すことになるでしょう。
泥臭く、汗をかきながら、ひいひい言いながら、それでも「面倒くさいことが明日を少しでも楽にしてくれるのであればやるっきゃないよね」と言って行動を起こす方々を、私は全力でサポートします。
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Wrote this articleこの記事を書いた人

あかぐり
クレジットカードを使い続けて10年以上。初めてクレジットカードを作る人に向けて、また、サイトに来てくれた人の経験や知識に「ちょい足し」するべく、クレジットカードの実体験とお金に関する情報を発信しています。